プロフィール
ショー専門のフレアーバーテンダーと日本茶インストラクター・リーダー、そして茶園での仕事を10数年
サムライ茶人はどのように生まれたのか、ここではその歴史を紐解いてみましょう。
お茶は小さな頃から飲んでいたけれど、やかんで作るほうじ茶がメイン。急須で飲むようなお茶はそれほど身近ではなく、たまに行くおばあちゃんの家で飲むような生活環境で育つ。好きなことをとにかくとことんやってみようという性格がいいのか、悪いのか大学に入ってからは全国各地のリゾート地で住み込みアルバイトをする生活をしていました。


宇治田原の茶畑で働き出した頃(1998年頃)
スキーに明け暮れていた20代、雪山に篭っていたバイトに人気のある職業の一つに「お茶摘み」がありました。雪が融けたころから始まり短期間で高収入という話でみんな静岡にいくという話が。私は京都だから宇治茶だとふと思い出した宇治田原町に連絡して紹介してもらった茶農家で働き出したのがお茶に触れるきっかけでした。玉露って何?という状態で手で摘み取られた玉露の新芽を集めにいく事から全てが始まりました。
フレアバーテンダーの世界大会で世界3位に(2003年)
2000年から本格的に始めたお酒のボトルやシェーカーを投げてカクテルを作るフレアバーテンダー。ひたすら練習したおかげで2002年には全日本選手権優勝、2003年に世界総合3位になった後も数年間、茶畑で働いていました。その後は結婚式やイベントでショーを行うショー専門のバーテンダーとしての活動を始めて茶園から離れました。


日本茶のショーを作ろうと思い立つ(2013年)
ショー専門のバーテンダーとして10年近く活動していた時に「オリンピックが東京で開催される」とのニュースが。日本に来る外国人観光客にお茶でショーをしたら面白いのではと試行錯誤を始めた。茶畑での仕事歴は9年ほどあったが、まずはちゃんとお茶の勉強をしようと日本茶インストラクターの資格を取得。その後しばらくお茶の淹れ方講師など日本茶インストラクターとしての仕事を続けながら茶畑で再び働くように。お客さんの前でお茶のショーを始めて披露したのは思いついてから2年後、2015年の秋でした。
サムライ茶人の誕生(2017年)
2017年に京都であった1年を通してのイベント「お茶の京都博」のオープニングイベントでお茶のショーをしてとの依頼が。そこで外国の人にもわかりやすいキャラクターでショーをしようと「侍」をモチーフにすることに。フレアの技術を使ったショーをするので侍は「サムライ」に、「茶人」でお茶を扱う人をイメージした「サムライ茶人」が誕生。侍っぽい髪形になるまでの1年間はカツラを被ってショーをしていました。


行っていた茶農家が廃業、お茶の楽しさを伝える活動を(2022年)
2022年の夏、合計15年以上行っていた宇治田原の茶農家が廃業し、残った茶畑を借りてお茶の体験が出来る場所にすることに。茶生産の現場に長くいたからこそ分かる茶畑の変化や、日本茶インストラクターの活動で得たお茶の知識、ショー専門のバーテンダーで身につけた見せ方で、「お茶を楽しみ方」を広める活動をいろいろやっていきます。